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もう40年ほど前のことになりますか,昔々のことですが,奄美大島の与路島にしばらく滞在しました。私は学校を卒業するまで出生地を遠く離れたことが無かったので,与路での生活は,全てが物珍しく,興味を引くことの連続でした。今でもふとした折に懐かしく思い出されます。
台風の季節になると,テレビやラジオで定期船「せとなみ」の運行状況が流れます。それを聞いて,昔とは違う船だと分かっていても頭に思い描くのは,やはり私たちの利用していたこの船です。 ※画像は,1978年から1981年の間に撮影した写真とネガからスキャンしたものを使っています。
港の対岸にはアデツの砂浜が陽光に白く輝いています。
昭和54年前後の港風景です。沖にハンミャ島,その後に請島が見えます。最近インターネットで見る与路港は大きくてとても立派になっていて驚きました。
入港の様子。当時は早朝に与路を出港して,夕方古仁屋から請島経由の一往復でした。今もそうかもしれませんが,天候や行事等でけっこう柔軟な運航をしていたように思います。
請島を出港し,ハンミャ島を過ぎて船が舳先の向きを変える頃に見えてくる与路集落の眺めは,島外から帰って来てほっとする瞬間でした。
こちらも最近インターネットで見て知ったのですが,定期船も近代的で速そうな船に代わっています。自分たちの利用していた旧「せとなみ」は漁船型で一回り小さく感じます。しかも着くまでに2時間以上もかかっていたような・・・
夕方,「せとなみ」の入港です。島内放送で入港時刻を聞きつけて人々が荷物を引き取りに集まってきます。
荷下ろしと引き渡し作業が始まります。船員さんたちは大忙しです。
生活雑貨,食料,家畜の飼料,建材等々ここに島の生活の全てがあるという感じでした。
当時の荷物の運搬には耕耘機が大活躍でした。
船のお客は人間だけでは無いのです。競りや肥育のために運ばれる牛たちも乗り込んできます。
甲板の下にも客室があり,運行中に船が揺れると,その度によろめいては踏ん張ろうとする牛の蹄の音が,頭上から響いてきました。
十五夜相撲や舟漕ぎ競争など,島の大きな行事には,島外に住む肉親や縁故者が大勢やって来て賑わいます。船は行事の終わる時間を見計らって出港時間を設定します。
来客たちを載せた「せとなみ」が島を離れると,また静かないつもの与路に戻ります。
いよいよ出港です。
定期船「せとなみ」が,きらめく朝日の中を出港していくこの風景は,「与路音頭」と共に今でも心に強く残っています。